何かの本で読んだけれど「不幸への最短距離は、人と自分を比べること」らしい。
マージーで―!?<(゚ロ゚;)>
だとしたらわたし、ものすごい長い時間、不幸への最短ルートを歩いてきたなぁ…(・・;
人と自分を比べて、できない自分に落ち込んだり、
人と自分を比べて、自分よりできない人を探して安心したり、
人と自分を比べて、自分のできるところを見つけて威張ってみたり。
過去のわたしときたら。
まぁロクなもんじゃないですわ(;´Д`)
いまがロクなもんかどーかは置いといて( ̄ー ̄)
いまの自分が思ってるのは、
「人と自分を比べてもいいけど、そこに上下関係をつけない」のが大事ってこと。
だって小学校と大学のどっちが大事?
大学は小学校より高度な勉強を教える場だけれど、小学校より「上」というわけではない。
どっちも大事。ちゃんとそれぞれの役目がある。
わたしは子どもの頃から数学とか体育とかできない子だったんだけど、
数学ができる人は数学担当、体育ができる人は体育担当として生まれてきたのかもしれないよね。
だからそこ比較していじけてたのはすごいもったいなかったと思う。
保育士さんとか看護婦さんとか、子どもや病人のケアができる人も、わたしから見たらすごい才能。
子ども担当とか、おじーちゃんおばーちゃん担当とか、病んでるひと担当とか、反抗期担当とか、がんばってるひと担当とか、がんばれないひと担当とか、我が家担当とか、政治担当とか、いろんな担当がいるのが世界のあり方なんだ、ってこと。
みんなが全部はできない。
各担当がいなかったら、困る人どれだけいるか考えてみたらすぐにわかる。
だとしたらわたしの担当はなんだろう?
だとしたらあなたの担当はなんだろう?
じぶんの担当を探すには、
じぶんのやりたいこと、好きなこと、惹かれるもの、
これらが羅針盤になる。
そして各担当が「自分のできること」を提供しあって、世界のピースが完成するのだと思う。
だとしたら。
みんな違ってみんないい、どころの話じゃない。
みんな違ってないとアカン!くらいのレベルじゃない?
みんな違っていなければ、ほんとうの意味で役目を果たすことができないのかもしれない。
その役目を果たすことが、生きているヨロコビってやつにつながるのかもしれないな。
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