こんにちは。さちこばです。
昨日の記事で、
自分を様々なカテゴリーに分けて細かくリストアップすると、自分を客観的に見ることができるようになり、自分の様々な顔を受け入れることができるようになる、
ということを書きました。
そして、このカテゴライズの作業には、
もうひとついいことがある(‘▽’*) とも書きました!
今日の記事ではそのことを書いていきますね~。
自分をカテゴライズすることで得られる、もうひとつのいいこと。
それは、
どんな一面も、自分の選択であると自覚できること。
自分が選んで、その一面を演じている、と言ったらわかりやすいだろうか。
例えば、「小さい子供といる自分」と「大人ばかりの中にいる自分」は、
明らかに違うですね。
小さい子供といるときは、大人と話すようにはしゃべらない。
子供にもわかる言葉でしゃべる。
「ゆきこさん何食べますか?
とんこつラーメンにします?(`・ω・´)」
というところを、
「ゆきちゃんごはんたべよっねー?(=´▽`=)
ちゅるちゅるにちよっかー?(=´▽`=)」
というはずだ。
相手が赤ちゃんだったら、
「あーむー」とか「ばぁー」とか「ぶぅー」とか、もう言葉すら使わないかもしれない。
これって、明らかに演技ですよね☆
演者がいるということは、監督もちゃんといて、
「こわい顔しないで、もっと笑顔で」などと演技指導をしている自分がいるはずです。
この「監督」が、もしかしたら一番、素の自分に近いかもしれないなとわたしは思ってます。
「この人にはこの演技で」
「この場面にはこの対応で」
「この感情はこう表現して」
って、監督が指示を出している。
「こんな時:どうする」というのは、すべて監督の指示=自分の選択なわけです。
自分の選択てことは、選んだ自分に責任能力がある。
(はーい、ここテストに出るから、憶えておくようにー( ̄ー ̄))
「えぇ~!? ちょっと待って~(;´Д`)
そんなわけないでしょ!?
ぜんぶ私のせい?
私の責任じゃないことだってあるでしょ~!?」
と言いたいケースもあるでしょう(・。・;
どんなケースか考えてみました。例↓
相談者:A子さん(派遣社員)
「会社で、隣の席の後輩のB子さんが、口を聞いてくれません。
私とB子さんは、同じ仕事をしていて、同じチームなんです。
B子さんは、本来は同じチームで先輩である私と相談して仕事を進めるべきところを、別のチームの人と相談して進めてしまい、こちらから聞かなければ報告もしてくれないので困るんです。
仕事で困るのもそうなんですが、隣の席で同じチームなのに、私ひとり無視されているので、精神的に辛いです。
今は私もB子さんに無視されるのが怖くて、仕事のことでの必要最低限しかB子さんに話しかけられません。
B子さんは、けっこうおしゃべりで、昼休みの雑談などで主導権を握るタイプ。
さいきんは、職場の雰囲気が、B子さん中心になっているような気がして、他の人に話しかけるのにも勇気がいります。昼休みとかほんと辛いです。
これって、私の責任ですか?」
無視、辛いですよね。中学のときに一度経験しましたけど、自分の価値がゼロになっちゃうような感じがしてほんとうにいやだったな。
大人になってもこんなことをやる輩がいるんですね。人間性を疑います。
この場合の「こんな時:どうする」は、
「職場で軽いいじめにあっている時:萎縮してしまう」ですね。
A子さんが「職場で萎縮してしまう」のは、A子さんの責任でしょうか? B子さんの責任でしょうか?
責任があるのは、「A子さん」です。
(っていうか、このA子さん、過去のわたしなんです(´・ω・`)。自分の体験から書きました)
ここで気にしてほしいことは、「責任」→「悪い」ではないということです。
A子さんは悪くない。
(悪いっつーか、幼稚なのはB子さんだよねえ…ってわたしも思う)
ここでテストです☆
【問題】
「自分の選択てことは、選んだ自分に○○○○がある。」の○○○○を埋めなさい。
さっきテストに出すって言いましたねー? 憶えてますかー( ̄ー ̄)?
答えは「責任能力」です。
悪いのはB子さんだけど、責任はA子さんにある?
でも実はA子さんにあるのは責任じゃなくて責任能力?
…こんがらがってきましたねえ。
いったん、ここで切ります。次号で解説に挑戦します(`・ω・´)
時間かかりすぎちゃって…ごめんなさい~(・.・;)
今日の記事まとめ:
自分をカテゴライズすると、「どんな一面も、自分の選択である」と自覚できる。
選択の後ろには、演技指導をしている「内なる監督」がいる。
次号予告:
内なる監督には「責任能力」がある。