痛いものは痛いんだって。

こんにちは。HAPPY道場さちこばです。

GW終わりましたね~。
こちらはカレンダー通りでしたので、ただの3連休だったわけですが。

わたし、この3連休の中日に、屋外イベントで頭に怪我をしてしまい、
「頭の怪我は軽傷でも出血が多い」という漫画でしか知らなかった知識を身を持って体験できるという出来事がありました(;´Д`)

出血してるのでちょっとした騒ぎになってしまい、でも頭なので自分で見ることもできず、(じつは未だに見れていない)
周りにいた人たちが、血を止めるのにタオルくれて止血してくれて、保冷剤くれて、寝かせてくれて、病院連れてってくれて…
「自分でやります」って言えないから、ぜーんぶお任せ(・.・;)

自分でやったのは、病院の支払いと帰りの運転くらいで。

小学生くらいのとき、骨折した子に憧れたりしなかったですか?
(ちびまる子ちゃんにもそんなシーンあったな)

「特別扱いしてもらえていいなー」って感じ。

で、あれ、実際、自分がそうなってみると、
「なんか申し訳ない」が先に立つのね~!
大人だからかなぁ。子どものときになってみたかったかも…

IMG

まぁそれは置いといて。

手当してもらったり構ってもらったりした時、いっぱい声かけてもらった。「だいじょぶ?」「大変だったね」「かわいそうに」
で、いちばんうれしいと思ったのは
「痛かったね」という声がけだったの。

なんだかんだいっても「痛い」が頭の中メインだからね。
そこ共感してもらって安心するというか。

幸い傷はほんとに軽くて、いまもこうして普通にブログネタにしているわけだけれど、
なんかタイムリーにこんな記事に行き当たりまして。
http://ameblo.jp/mumiwano/entry-12157083078.html

↑この記事は、
子どもが転んだ時に、親が「だいじょぶ!いたくない!」って声がけしちゃうとどうなるか…ということについて書いてあるんだけど、

これって、すごいよくあるシーンじゃない?

中には、ほんとに痛くないくらいの怪我もあるだろーけど、
実際、「だいじょぶ!いたくない!」って言われると、ほんとに大丈夫になる時もあるんだけど、

痛い時は痛いよね?

前に「かみさまとのやくそく」という映画の中にあった
「この赤ちゃんは、ここは泣いてもいいんだって分かって、安心して泣いてる」というシーンを思い出しちゃった。

親としては、ちょっとくらいで泣いたりしない強い子になってほしいと思ってやってることだから、それは否定しないけど、
「強くなれ」とコントロールしていることにも気づいてほしい。

そしてなにより、これと同じことを、私たちは自分にもやってるんじゃないのかな?って思った。

痛いけど、たいしたことないから大丈夫。
悲しいけど、自分も悪かったから仕方ない。
つらいけど、もっとつらい人いるから出せない。

痛みを認めないで「こんくらいだいじょぶ!いたくない」って思っていることない?

こころをすこやかに保つには、自分が自分に共感してあげることがすごく大切。

痛い時は、痛い。
悲しい時は、悲しい。
つらい時は、つらい。

感情は、わたしたちにいろんなことを教えてくれる。

「強くなりたい」とか
「いい人でいたい」とか
理想に向かう気持ちが強いと、コントロールに飲み込まれて、本来の感情がわからなくなることがある。

だから、無視してしまいそうな感情があったら、一度ちゃんと共感してあげるといい。
なんかしらんけどモヤモヤする感情があったら、その下には、ほんとの気持ちが隠れてるから、そのモヤモヤにも向き合ってあげるといいって思う。

ずっと「痛み」と向き合う必要はないし、それやってるとしんどいから、
「いま痛みを感じている」ということだけでも気づいてあげる。
そのほうが、本来の治癒力が働きやすくなって、早く回復するはず。

「かおで笑ってこころで泣いて」でもいい。
「いまこころで泣いてるなぁ…」って感じてあげられれば。
それやんないと「こころで泣く」ことさえできなくなるから。

 

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