「小さき声のカノン」という映画を観てきました。
子どもを被ばくから守るために、“今できること”を模索しつつがんばっているお母さんたちのドキュメンタリーです。
福島のお母さん・お父さんだけじゃなく、チェルノブイリで被ばくした子どもたちのために活動している小児科の先生や、関東地方で被ばくしている子どもたちの転地療養のためにがんばっているボランティア団体の方などが出演し、
「“政府がやってくれないこと”は、自分たちがやるしかない」と行動をおこしている人たちがいることを知らせてくれます。
この映画を観て感じたことは、
「母は強し」なんてプロトタイプな答えじゃなくて、
微力かもしれないけど、自分のためなら、自分の子どものためなら、
弱くても、怖くても、やるしかない。と“決めた”人たちのつよさでした。
このお母さんたちは、何も特別な人たちじゃなくて、ただ自分の子どもを守りたいから行動してるだけで、
もし福島に住んでいなかったら、ここまで行動しなかった、“普通のお母さん”なんだろう。
“当事者”だからここまでやれるんだと思う。
自分のことだからほっておけない。
自分のことだから、人任せにできない。
だって他に任せられる人なんていないんだから。
“他に任せられる人がいない”というところは、とっても政府に憤りを感じるところではありますが、ギャーギャー言って被害者ぶってても、今のところ現状が変わらないのなら、自分で行動するほうが、少なくとも自分の現状を変えることはできる。
そんなことを考えていました。
というのも、最近、わたしの心の中に、いわゆる“トラウマ”ってやつが居残っていることが判明し、ここしばらくは、ずっとそれと向き合っていたのです。
わたし的には、トラウマは、もうないと思っていたので、
無意識に蓋をしていた心の傷を見つめるのは、正直つらい作業です。
でも、これと向き合って癒やす仕事は、自分にしかできないのです。
だって自分のことだから。
誰かに頼めたらどんなに楽なことでしょう。( ´Д`)=3
そんなことを、福島のお母さんたちの心情と重ねながら観ていました。
いい意味で、「あきらめ」というのは大切だと思う。
「しかたない。自分がやるしかない」と思うこと。
そこから新しい道がひらけるように思うのです。
ちょっと似ててちょっと違うかもしんないけど前に書いた記事「あきらめというハードル下げ」も、よかったら合わせて読んでみて下さいね(・ω・)b