こんにちは。さちこばです。
今日は「心配」について考えてることを書きたいと思います。
前にどこかで
「親が心配性なのは子どもにとっていいことがない」って聞いたことがあるのですが、(ソースがわかんないごめんなさい><)
これってほんとうにそうなんだろうなとつくづく感じています。
わたしの周りにも、親が心配すればするほど、大丈夫じゃなくなる子どもがいたから。
心配というのは、ひっくり返すと“信頼してない”ということでもあります。
親が子どもを信頼していないと、子どもは自分を信頼できなくなります。
心配されてる自分
↓
信頼されてない自分
↓
自分で自分を信頼できなくなる
↓
大丈夫じゃなくなる
↓
ますます心配される
悪循環です(;´Д`)
親子関係に限らず、
心配性の人は、心配の対象となる相手のことを、
「本当に大丈夫?」
「自分がついていないと駄目なのでは」
と思っています。たぶん。
そして、「自分が心配する相手」を、自分で決めてしまっています。
「この人は大丈夫」
「この人は大丈夫じゃない」
という線引を、自分のなかで決めてしまってます。たぶん。
でも…
その人が大丈夫か大丈夫じゃないかって本当にわかるのは誰なんでしょう?
神様?
よく考えたら、じぶんが決めることじゃないんじゃないかな。
そう考えたら、悪循環を切ることはむつかしくないんじゃないかな。
すべての人は「大丈夫」なんだと思う。
なんでかというと、みんな“自分の”課題にチャレンジしている最中で、
それクリアするのは、本人にしかできないから。
相手の課題は、相手のためのものだから。
だから、心配しなくても大丈夫。
あなたひとりが心配しなくても大丈夫。
もしも、本当に大丈夫じゃない時があっても、
もしも、あなたが手を差し伸べられなくても、
絶対に誰かが
「あーもーしょーがないなー」(;´д`) って
手を差し伸べてくれるものなんです。
ひとは助けたり助けられたりするものだから。
大丈夫じゃなく見える人も、
結局は“大丈夫”なんですよ。
もしあなたが「心配したい人」なのならば、
本当にケアすべきなのは、相手ではなく自分です。
もしあなたが「心配されてる人」なのならば、
見守られてる自分を喜び、自分を信頼してみてください。
意識の力は強いのです。
大丈夫じゃないと思えば大丈夫じゃないし、
大丈夫だと思えば大丈夫なんですよ。
さいご“意識の力”で〆るとか、
着地点無責任かもしんないけど。(。-人-。)
ほんとにそうだと思うのよ。(・ω・)b